2011年(平成23年)3月11日14時46分
あの日から15年。今でも、14時46分のあの揺れを昨日のことのように思い出します。
当時、私はマンション1階にある店舗でパソコン作業をしていました。
突然「グラッ」と大きな揺れが襲い、驚いてすぐに店のガラスドアを開けました。
外を見上げると、頭上の電線がまるで縄跳びの縄のように大きく、不気味に揺らいでいました。
道行く人たちも足を止め、呆然と空を見上げていました。
近隣の店舗からも不安そうな顔で人が出てきて、「怖いですね……」と言葉を交わし、
ただただ揺れが収まるのを待つことしかできませんでした。
帰宅困難、店での一夜
揺れが落ち着き、PCでニュースを開くと、そこには信じられない光景が広がっていました。
繰り返し流れる大津波の映像、衝撃的でした。
東京もJRをはじめ交通網が完全にストップ。
無理に動いて怪我をするよりも、ここに留まる方が安全だと判断し
コンビニで食料を買い込んで店に泊まることに決めました。
幸い、店は大通り沿いで街灯も明るく、雨も降っていませんでした。
窓の外には、徒歩で帰宅を急ぐ人たちの列が明け方すぎても続いていました。
店舗には非常用の着替えや水、食料を備蓄していましたし、電気も通っていました。
私は防寒用のアルミシートを体に巻き、凍える夜の寒さをしのぎながら
一晩中PC画面に映し出される津波の情報を見つめていました。
消えない記憶と、東北への想い
翌日、交通網が回復してから自宅へ戻れましたが
あの静かで長い夜のことは、15年経った今も鮮明に記憶に焼き付いています。
何より心配だったのは、お客様が多くいらした宮城県や福島県のこと。
宮城に住む友人とようやく連絡が取れたときは、心の底から安堵したのを覚えています。
震災後、東北地方からの注文は激減し、お店の売り上げも日に日に落ち込んでいきました。
この大惨事を前に、個人の力ではどうすることもできない無力さを痛感する日々でした。

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